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「ティンガティンガ派」アート考(要約)白石顕二

更新日:2023年6月5日

創設者のティンガティンガはタンザニ南部、モザンビークとの国境に近いトンドゥール地方に住むマクワ民族の出身である。彼と一緒に絵描きの仕事をしていたリンダやムルータやムパタ、さらには中堅のジャファリーやブシリなんど多くのアーティストたちは血族関係にある。つまり、「ティンガティンガ派」アーティストはマクワ民族の人々に多い。

では、この「ティンガティンガ派」絵画はいつごろ生まれたのであろうか。故郷の農村から首都ダルエスサラームへ出てきたティンガティンガは、1960年代後半に建築現場で働いている。その現場で、彼は建材のマゾニット板にエナメル・ペンキで絵を描くことを思いついたらしい。板自体は大きなものだが、ティンガティンガはそれを縦横60cmの四角いサイズに切り取り、絵を描いた。ティンガティンガが事故死となった後、前述の弟子たちが構図や精神を引き継ぎ、その後ラシディやムーサなどの2代目から多くの作家が生まれてきた。

平面美術はアフリカでは(立体彫刻等に比べ)比較的新しい芸術分野である。ヨーロッパ的、インテレクチュアルな芸術あるいは美術運動などと、全く無縁なところから出発しているのが「ティンガティンガ派」の絵画なのである。歴史は浅いが「四角い板」や「画材」がヨーロッパのものである以外には何の”影響“もない、彼ら独自の世界である。テーマは動物、鳥、村の生活、マジシャンなど彼らの生まれ故郷のトンドゥール地方の暮らしに密着したオリジナルなものである。かつてアフリカの人々は動物と共存していた。野生動物に対する畏れもあったはずだ。動物と人間の相互依存的な生態系は崩れると同時に、人間と動物の精神的なつながりもまた消滅する過程をたどることになるだろう。その中でティンガティンガ派は絶滅危惧種であるアフリカゾウをはじめとする動物たちに対して独特な思いを頂いているようだ。

ティンガティンガ派絵画が生まれたのも、アフリカへの観光客の増大と無縁ではなかった。大都市に流れてきたティンガティンガは、事実、首都の路上で観光客相手に売られている安物の風景画を見て、板絵を思いついたという。この絵画の出発はスーベニア・アートであった。しかしながら、このアートが単なる「土産物美術」にとどまっていないことも真実なのである。彼らアーティストたちは美術運動とか、民族文化の再発見とか、土着の美術だとか、仰々しいことは何も語らない。どのアーティスト達も仲間の絵を見て学ぶ。学校で美術教育を受けるわけではない。実際、板に絵を描く時でも下書きのようなことをしないのである。が、できあがった作品には想像を絶する素晴らしい色彩感覚や絶妙な構成力が漂っている。それをスーベニア・アートと言って片付けるには少々以上の偏見が必要だろう。いかなるパワーが彼らの頭脳に宿っているのだろうか。神秘主義的に言えば、それは魔法あるいは宿命あるいは本能のようなものかもしれない。

そのようにしか言いようがないのも情けない話だが、彼らはいわばアフリカの大地の神々から授けられ、内在させていたエネルギーと天分を、正方形の板とエナメル・ペンキを得て一気に爆発させ、燃焼し、彼らの民族、ひいてはアフリカの人々の太古以来の記憶を平面に存続させるべく、神から“宿命”づけられたのだ。それが“ティンガティンガ派”絵画である。言うまでもなくアフリカ大陸は人類の創世の場所であり、その悠久な時間は有史以降の数千年などものの数としない。その記憶を世界のどの地域の人間よりもアフリカの人々は持っている。自然界との直接的なつながりを深く残しているアフリカにおいて、“ティンガティンガ派”絵画は生まれるべくして生まれた芸術であるのに違いない。それだけの“魔力”が、これらの絵画には宿っているのだ。


全文:白石顕二、山本富美子(1990)、ティンガティンガ、講談社、p110-113

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